スタッフブログ

現場紹介

日向支店建築部  蕨野です。

只今、日向市学校給食共同調理場建設事業 調理棟建設工事を担当しております。

工期が平成26年3月25日〜平成27年1月30日までとなっております。

現在外部・内部共仕上げ工事の真っ只中です。

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着工前 5月より着工
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基礎工事 ピット部の排水処理に苦労
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外部・内部仕上げ工事
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完成パース

5月に着工いたしまして、残すところ1ヶ月あまりです。

”人の心に残るモノを造る誇りある仕事”、”責任ある仕事”をモットーに頑張ります。

— posted by 吉原建設 at 08:33 am  

日平バイパス美郷トンネル開通

12月1日(月)に一般国道388号日平バイパス(美郷トンネル)の開通式が行われました。

知事を始め多くの方々が集まる中、厳かに神事が始まりました。

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開通式典にてテープカット・くす玉割りまで滞り無く終了し、美郷トンネル建設に携わった業者代表全員で記念写真を撮りました。
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さっそくの通り初めです。

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トンネルを渡り終えた美郷町南郷区にて祝賀会。施工業者代表として、感謝状をいただきました。

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この美郷トンネルの開通により、美郷町の地域間交流の促進でますますの発展が望まれています。

日向支店 営業部 竹下

— posted by 吉原建設 at 09:37 am  

会社代表で・・・

 都城本店舗装部の池畑です。

私事ですが、8月に行われた盆地祭りで企業対抗歌合戦がありそこで入賞しました。

その代表として、今月13日に開催される南九州地域おこしフェステバルに出場することになりました。
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盆地祭りでの表彰式の様子

このフェステバルの会場は、都城市早水公園体育文化センターです。

こんな大きなステージに立つことはなかなか機会がないので精一杯頑張りますので時間のある方は、応援よろしくお願いします。

曲目  北山たけし  男の出船

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地域が元気になって 人が元気になって 皆が幸せになりますように!

— posted by 吉原建設 at 04:29 pm  

シーサイド佐土原モデルハウス

こんにちは、宮崎本社企画開発本部の営業の大野です。

11月1日に宮崎市佐土原町のシーサイド佐土原でMRT宮崎放送の主催により、住まい展示場がオープンしました。出店会社は、4社5棟の展示となっております。

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久々の4社合同の住宅祭ということで、オープンが私も楽しみにでしたが、ご来場のお客様にも一度にたくさんの建物が見学出来るということで喜んで頂いております。

水曜日が定休日になっておりますが、土、日、祝日は、たくさんの人でにぎわっております。佐土原町ということもあり、地元の方、新富町、高鍋町、西都市のからお客様が多いようです。

MRT宮崎放送の主催の為、テレビやラジオの宣伝が多く、私もテレビの宣伝に出演しましたが、緊張して、頭の中が真っ白になり、原稿の内容がとんでしまい途中でつまってしまいました。

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これからも、多くの方に見て頂いて、家づくりの参考になればと思っております。

開催期間は、今年は、12月14日までで、来年は、1月10日〜2月15日になっております。

お近くを通られる際は、是非見学にお越しください!!

— posted by 吉原建設 at 06:02 pm  

鶴富姫

皆さんお元気ですか? 本店土木部の中武です。

私は先日、椎葉村の椎葉平家祭り‘14に行ってきたのでその事について、少々書きたいと思います。

 椎葉村は現在人口が約3000人程ですが、椎葉平家祭りの来場者は1万6000人程度と言われています。人口の約5倍ほどの来場者でにぎわいます。すごいですね〜

 金曜日が前夜祭で土日が祭りになり、日曜日の午後からメインの大和絵巻武者行列があります。私は日曜だけ行ってきました。到着したその時に、懐かしい唄声が・・・・山本リンダさんでした。イベント出演してました。(^^

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椎葉平家祭りと言えば、平家落人伝説 那須大八朗と鶴富姫の悲恋の物語。

知っている人も多いと思いますが、物語を少々・・

【185年(今から約800年程前)、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の武士たちは、山深い椎葉の地に逃げ延び、つましい暮らしを送っていました。

 この平家一族の事を知った、源頼朝は那須大八郎に落人の追討を命じますが、そこで目にしたものは、戦う気持ちを忘れひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿でした。

那須大八郎は、追討を断念し「残党は一人残らず討ち果した」と偽りの報告をし、屋敷を構え、この場所で生活していこうと決めたのでした。

やがて、平家の鶴富姫と出会い、二人の間に恋におちますが、二人は源氏と平家のかたき同士、しかし大八郎は愛する鶴富姫と生涯をともにすることを決め椎葉村に永住することを決意します。

しかし、ある日、幕府から「すぐ帰れ」との命令がおります。この時、すでに鶴富姫のお腹には子がやどっておりました。椎葉の地を離れる日、大八郎は鶴富姫に「生まれてくる子が男なら私の故郷へ、女の子ならこの地で育てるがよい」と言い残し、刀(あまくにの太刀)と系図を渡し椎葉村を後にしました。その後、鶴富姫は出産、生まれた子は女の子でした。母となった鶴富姫はその子を大切に育て、その子が成長すると婿(むこ)を取りました。そして、愛してやまない大八郎の「那須」の姓を名乗らせたといいます。そして、幸せに暮らしたとあります。】
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と簡単ですが以上が、平家落人伝説の内容です。この盛大な祭りを見てもう少し、鶴富姫と那須大八郎の事がまだ知りたくなりましたので、ちょっと知らべたら、鶴富姫のその後には色んな話があり、二つの話が出てきました。

那須大八郎が後に椎葉に、鶴富姫を迎えに来たと言う説と、大八郎と別れた1年後に、鶴富姫は大八郎に会いに紀伊半島の南部の熊野に行く途中に亡くなった、との話です。

街頭パレードの大和絵巻武者行列では、那須大八郎が鶴富姫を迎えに行く設定ですが、その時代での壮大さを感じさせてくれる平家落人伝説でした。

 なかなか椎葉村は遠くて、道路も一部狭い区間もあるので、運転も大変ですが、機会があれば行ってみてください。

私達も頑張って道路を広く、運転しやすくします。(^^

— posted by 吉原建設 at 08:30 am  

吉原建設株式会社