スタッフブログ

これまでとこれからの独り言

 先日、写真アルバムに収めた黄ばんだ古い写真を画像編集ソフトで補正してUSBメモリーで管理しようと思い立ち、アルバム十数冊を押し入れの奥から引っ張り出し古写真をスキャナ取り込み作業中、その中の一冊に挟まった文字の薄れた青焼きの複写原稿を見つけた。開いてみると20歳代後半の頃、「私の人生観」という命題を与えられて書いた小論文である。記憶が蘇った。蘇った記憶は原稿の中身に非ず。四苦八苦して提出日前日の夜半に書き上げたことの煩悶懊悩の記憶である。

 原稿の内容は、おぼろげながら記憶にあるが思い出せない。劣化しているがまだ読めるので読み返すことにした。(やろうとしていることを逸脱して他のことに夢中になり、やるべき事をやらないのは年齢のせいか(?))

 読み返してみると冗長で稚拙な表現力に赤面するが、それなりの人生観は持っていたようだ。小論文は、序論、本論、結論の構成で、本論の中身は自己分析、目標の確立、質実剛健の3章の幹に枝を付けたものである。序論の巻首に「日本人男性の平均寿命は72.69歳らしい」と書いている。あれから約40年(誰かの漫談で聞いたような(?))を経た今、男性の平均寿命は約7歳伸びたことになる。続きに「平均寿命の73歳になった頃には男性の平均寿命は80歳を超しているかも知れない」と書いている。現実になった。感慨深い。また、序論では戦国時代の天下人徳川家康の名言「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。・・・・・・・・」を引用して、自身の生き方の道筋を述べている。

 本論では、自己の資質・能力分析は、主観を捨て客観的に行うことの必要性と分析結果を踏まえた目標設定の重要性を述べ「己を知らずして自分の人生観なるものがあり得るはずがない。己を知り自らの人生の目標を定め自分は人生をこう生きたい。というような確立されたものがあれば如何なる試練、逆境、困難にも耐えていけるような気がする」と述べている。また、「沈黙が金、雄弁は銀なり」について触れ、有言実行と不言実行を対比して、次のように述べている。「昨今、不言実行より有言実行が尊ばれている。有言実行は確かに尊い。言うべきことを主張し、やるべき事を確実にやる。素晴らしいことだ。然し、私は不言実行のタイプである。つべこべ言わず黙ってやるべき事をやれ。このタイプなのだ。後ろ姿が輝いている。素晴らしいことではないか」と。また「長い人生をどう生きるかを考察することが人生観であるが、然しそれは、日々の生活を如何に大事に送るかと言うことの積み重ねであり、その中でも日々の生活の一つの物事に如何に情熱を燃やせるかということである。私の信条の一つに『今成す事に一生懸命』がある。何であろうが今していることに全力を傾注しそれを成し遂げる。目標に立脚して、一つひとつの物事を積み重ねることが重要だ。家康も『急ぐべからず』と言っている。階段を一段ずつ登るが如く人生も目標に向かって着実に上っていきたいものである」と。

 小生意気なことを書いたものだ。当時は燃えていたのだろう(今は(?))。

 西郷隆盛の残した「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。・・・・・・・・」や「敬天愛人」も引用している。飾り気は必要ない、実直で強く、しっかりしていればよい。ということを質実剛健に当てはめて自身の人生観の理想に置き換えて述べたものである。

 結論の巻尾では、「人生の目標は何か。人間の目標とは何かと問われても知る術もないが、自分の目標だけはしっかりと定めていきたい。少なくとも今後指導すべき立場になる者としての目標は達成すべく。振り子のない時計にはなりたくない」と締めくくっている。

 読み終えて、ふと気づく。今の自身の人生訓、座右の銘、生活信条と何ら変わらないことに。20歳代後半の頃の人生観を粛々と送ってきたのか。それとも、人生観が変わるほどの出来事に出会わなかったのか。或いは人生の成長が20歳代後半で停まっているのか。悩む。

 現在の居住地に、よその土地から移り住んで18年。地域の方達には大変お世話になった。単身赴任中に建てた家は、地域の人たちの協力や助言で地鎮祭、上棟式を滞りなく終えることができた(亭主不在、妻主導の家造りで、妻好みの家に仕上がり妻満足)。また、子供会活動や自治会活動の負担軽減等、本当にお世話になった。

 気づいてみれば60歳代後半。さて、これからどうするか(?)。

 今までの人生観を土台に、その延長線上でどんな人生観を持って生きるか。思案のしどころである。

 司馬遼太郎は、その著書、風塵抄の中で次のように述べている。「古来、人は世をつくり、世によって生かされてきた。世がこわれずに維持されているのは二つの要素による。二つとは公を大切にする心と素朴な正義感である」と。      自身や家族のためには十分働いた。これからはお世話になった地域に恩返しする番かな。これからやるべきことに光明が射し、道筋が見えたような気がする。

 ん・・・・・(?)。古写真のスキャナ取り込みが進んでいない。「今成す事に一生懸命」じゃないのか。スキャナ取り込みを再開しなければ。

宮崎本社総務部 鈴木 安則
         

— posted by 吉原建設 at 08:32 am  

この記事に対するコメントはありません

吉原建設株式会社