スタッフブログ

鶴富姫

皆さんお元気ですか? 本店土木部の中武です。

私は先日、椎葉村の椎葉平家祭り‘14に行ってきたのでその事について、少々書きたいと思います。

 椎葉村は現在人口が約3000人程ですが、椎葉平家祭りの来場者は1万6000人程度と言われています。人口の約5倍ほどの来場者でにぎわいます。すごいですね〜

 金曜日が前夜祭で土日が祭りになり、日曜日の午後からメインの大和絵巻武者行列があります。私は日曜だけ行ってきました。到着したその時に、懐かしい唄声が・・・・山本リンダさんでした。イベント出演してました。(^^

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椎葉平家祭りと言えば、平家落人伝説 那須大八朗と鶴富姫の悲恋の物語。

知っている人も多いと思いますが、物語を少々・・

【185年(今から約800年程前)、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の武士たちは、山深い椎葉の地に逃げ延び、つましい暮らしを送っていました。

 この平家一族の事を知った、源頼朝は那須大八郎に落人の追討を命じますが、そこで目にしたものは、戦う気持ちを忘れひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿でした。

那須大八郎は、追討を断念し「残党は一人残らず討ち果した」と偽りの報告をし、屋敷を構え、この場所で生活していこうと決めたのでした。

やがて、平家の鶴富姫と出会い、二人の間に恋におちますが、二人は源氏と平家のかたき同士、しかし大八郎は愛する鶴富姫と生涯をともにすることを決め椎葉村に永住することを決意します。

しかし、ある日、幕府から「すぐ帰れ」との命令がおります。この時、すでに鶴富姫のお腹には子がやどっておりました。椎葉の地を離れる日、大八郎は鶴富姫に「生まれてくる子が男なら私の故郷へ、女の子ならこの地で育てるがよい」と言い残し、刀(あまくにの太刀)と系図を渡し椎葉村を後にしました。その後、鶴富姫は出産、生まれた子は女の子でした。母となった鶴富姫はその子を大切に育て、その子が成長すると婿(むこ)を取りました。そして、愛してやまない大八郎の「那須」の姓を名乗らせたといいます。そして、幸せに暮らしたとあります。】
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と簡単ですが以上が、平家落人伝説の内容です。この盛大な祭りを見てもう少し、鶴富姫と那須大八郎の事がまだ知りたくなりましたので、ちょっと知らべたら、鶴富姫のその後には色んな話があり、二つの話が出てきました。

那須大八郎が後に椎葉に、鶴富姫を迎えに来たと言う説と、大八郎と別れた1年後に、鶴富姫は大八郎に会いに紀伊半島の南部の熊野に行く途中に亡くなった、との話です。

街頭パレードの大和絵巻武者行列では、那須大八郎が鶴富姫を迎えに行く設定ですが、その時代での壮大さを感じさせてくれる平家落人伝説でした。

 なかなか椎葉村は遠くて、道路も一部狭い区間もあるので、運転も大変ですが、機会があれば行ってみてください。

私達も頑張って道路を広く、運転しやすくします。(^^

— posted by 吉原建設 at 08:30 am  

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